葬る

日本では人が死んだら火葬にして骨の一部を持ち帰り、お墓に入れるというのが普通かもしれないが、世界では様々な葬り方がある。土葬はアメリカなどで行われているが、そのまま土に埋めるというやり方である。またインドなどは火葬もあるが、そのまま死体をガンジス川に流す風習もある。椎名誠の「遺言未満、」を読んで、一般的なそういう葬り方ではなく珍しいというか奇葬というか、驚くものもあるようだ。パプアニューギニアのフォレ族の間では20世紀の中ばくらいまでは死んだら家族や友人に食べてもらうという風習があったようだ。またチベットでは鳥葬というのが行われている。遺体を僧侶が「ポア」という儀式で魂を解放した後に寺の裏にある鳥葬場で遺体は切り刻まれ、ハゲワシや野犬などへの施しとして与えられるのである。
いわゆる死と、その遺体に対する考え方の違いが世界で様々な葬り方になっているのだろうが、遺体はまだ尊いものだとする地域ともう遺体は単なるしかばねであったり、地域によってはもう不浄のものであるという考え方もあるようだ。
我が家ではいわゆるお墓というのを作らずにいる。石で出来た真っ暗な中に遺骨を入れるのも何か寂しいような気がして、お袋が亡くなった時にお墓を造らずに納骨堂にした。何故なら墓だと年に数回しか行かないような気がするが、納骨堂であれば月命日や何かふと「お袋に会いに行かなきゃ」とか思う時に気楽に行けるからである。今はお袋と親父の骨壷が入っているが、おそらく自分もそこに入るだろうし、カミさんもきっとそこになるのだと思うが、そうなったら娘や孫たちは会いに来てくれるのだろうか?都内に住んでいれば来る事もできるが、遠く離れた場所に住んでいればなかなか来るのは難しいだろう。散骨というのもあり、海や湖、川、あるいは野山に撒くという方法もあるようだ。椎名誠は海に散骨というようにするらしい。自分も海にと思った事もあるが、それもまた家族に託さなければいけないし、面倒だろうと思うと、取り敢えずは納骨堂で良いのかなと思う。
大阪の一心寺ではお骨を粉にし、その粉を練り上げてお骨佛をつくるらしい。昨今は22万体の骨で一つの仏像をつくるらしい。それだけ多いと無縁仏のような感じもするが、きちんと自分の身内が仏像になり、自分も含めて沢山の人がお参りするので、故人も嬉しいのではないかということらしい。今まで6体のお骨佛ができているらしい。
人生を終えると共に、自分の身体も仕舞わなければならない。自分はあまり残された家人に面倒なことはさせず(葬式もなくていい)、納めるべきところに納骨されればそれでいいと思っている。