街を死なせたのは誰か

以前住んでいた田園調布。その昔は漫才師セントルイスの「田園調布に家が建つ」というセリフにも出てくるくらい憧れの金持ちの街であったが、最近ではトント聞かない街になってしまった。俺の家が建ったのは今から20年ほど前だが、敷地は以前はミネベアの創業者高橋高見さんの家で、鬱蒼とした林のような庭が残る土地であった。当時建っていた建物をリノベーションして使おうと思っていたが、診てもらうと耐震やら防水やらで建てるのと同じくらいかかるとのことで、やむなく隈研吾さんに設計してもらい、建て直すことにした。が、その林のような庭の木を切るとある年寄り団体が突然やってきた。「何故木を切るのか」と。また切るなら新たに植えろとか、隣との壁は1.2mだとかやたらうるさいことを言ってくる。人が買った土地に何をいうのかと思ったが、そこには田園調布会なる自治会があり、街の景観を守り続けているという御旗の元、全ての家に対しルールを守らせるという権限があるらしいことを言う(大田区から任されているような)。そして自治会に入会しろと。あまりにうるさくて閉口したので入らなかったが、隈さんの設計にもうるさくいい「こんなコンクリートの塊みたいなのを造って」とか、とにかく建築中もやかましい人達だった。現場監督さんは相当対応に追われたらしい。
そんなことで俺は無視していたが、確かに街並みはキレイだが、建蔽率は40%、容積率は80%の街だ。また商業はダメだとか、マンションもダメだとか、3丁目、4丁目は厳しいルールに縛られていた。だから夜になると人も歩いていないし、コンビニすら近所にない、不便な街だと言う印象だった。またそう言う街だから老人が多く、若い人達が新しく住めるような家はなかった。時代は流れ、リーマンショックの後はそんな街にうってつけの強盗が頻繁に出没した。そりゃ年寄りしかいない富裕層の街が狙われないわけがない。そもそも田園調布会は帝国ホテルの経営者だった犬丸氏が中心となり運営されていたが、発足メンバーも亡くなったりしながら勢力は弱まっていったように思うが、今でもおそらく当時のルールはそのまま継承されているのだと思う。現会長は元アメリカトヨタの社長でセクハラ訴訟が原因で辞任した人だ(笑)。
何故街が廃れたかをチャッピーと話したが、田園調布会という景観を守るだけに使命を燃やしている自治会が強すぎて、景観は保たれてきたが社会からも時代からも取り残され、時代にそぐわない街になったということである。俺は人の資産にまで口出しするその自治会は大嫌いだったし、自治会にも入らなかったが、きっとその会にいる老人達は街と共に滅びてゆくのだろう。そして街がそうなった責任を誰も取らずに。時代に沿わない状況にも関わらず、自治会任せにしていた大田区の責任も大きいだろう。
俺は家族の関係もあり、都心に住もうと思って離れたが、もちろんそういう無責任な老人達が亡くなり、急には出来ないだろうが、容積率の緩和や、ある程度の商業などがバランスよく出来てくれば、日本最高の街になる可能性はあるだろう(おそらく20年以上かかると思うが)。これはほんの小さな街の話だが、国立の富士山が見えなくなるからとせっかく出来たマンションを壊す話や、京都にタワマンが建たない話など、景観と街づくりの弊害はよく聞く話だ。しかし、パリのように中心部は景観を保ちながら、デファンスという新凱旋門のあるあたりは高層ビルが立ち並び、計画的に作られている印象がある。京都も範囲を決めればいいのではないかと思う。
やはり時代は常に変化し、それと共に人々の暮らしも変化する。景観も文化的には大事なものだが、あまり意固地すぎると街そのものの息の根を止めてしまうことに成りかねない。
どの街も元々は誰も住んでいなかった土地だったはずだ、ある時住んだ人達のエゴで時を止めてはいけない。