中村桂太郎さん

桂太郎さん(桂ちゃん)との最初の出会いはもう忘れてしまった。原宿の不動産屋であり、港区、渋谷区のずいぶん深いところまで知っている人だった。不動産取引は何回かあったと思うが、それよりも多くの時間を共にさせてもらったし、その時間の中でいろんなことを教わってきた。まずは遊びの天才だと思う。遊びと言ってもバカなお金の使い方をするわけではない。どちらかというと粋な遊びをする人だ。夜の食事や酒の席での話もそうだったし、また石垣へ行ったり相模湾の船の上でははちゃめちゃに騒ぎすぎるとこもお茶目な人だった。ある夜、バーで会ったら女性連れ立った。どんな人かと聞くとその日に美容院で隣に座った女性が綺麗だったので「こんにちは」と挨拶し、それから口説いて食事をして、飲んでいると言う。「えっ、今日さっき?」と驚いたが、そのくらい女性も含め人の懐に入るのが上手な人だった。Francfrancや新業態などのオープンには必ずきてくれて評価をしてくれた。良ければ必ず褒めてくれたし、悪ければ黙っている、そんな人だった。桂ちゃんがたまに「面白いのがあってさ、ふみふみどうかなぁ」と不動産案件を持ってくることがあった。ありがたいことに多少期待してくれてのことなのだが「この物件、お前なら面白いものに仕立てられるだろう」との問題提起みたいな感じだが、思い出深いものに渋谷区東につくった「THE SCAPE」がある。常陸宮邸の隣だが車一台通れるかどうかの細い道の奥に150坪の土地があった「ふみふみ、実はさぁ悩ましい土地があるんだけど…」とかかってきた電話で土地を見に行ったが、廃墟になった小さなマンションが1棟建っていた「もう1年半位売れていない土地なんだけどさ、何かできそうなんだよなぁ…」と桂ちゃんが言う。自分もなんか面白いかもとピンときた。この細い道は京都の嵯峨野に似てるなぁ、細い道だからこそ現れるものへの期待感が湧くんじゃないだろうかと思い。隈さんに相談した。またグラフィックを浅葉克己さんに頼んだ。当時六本木ヒルズにAGITOという高級ライフスタイルショップをオープンしていたので、その延長のサービスアパートをつくったのである。こだわりにこだわったので、そのアパートの完成披露には多くの人が集まり、自分もそうだが桂ちゃんが一番喜んでくれた。
桂ちゃんは団塊の世代より少し前の世代の人である。世の中がバブルに踊り、それが弾けて消えた人もたくさんいた。桂ちゃんも痛手を被ったがしぶとく生き抜けてきた。しかし、その間にいろんな時代の感性がうごめいた。桂ちゃんはチャーミングな人だったが、何となくだがその裏側には切ないものも抱えている気がした。そういう時代から磨かれた桂ちゃんの感性には教わるところがたくさんあった。いつしか自分も「桂ちゃんに認められる」ことがある種の判断になっていたかもしれない。そういう先輩がいたからこそ自分の頑張るエネルギーにもなっていた。東京の真ん中で桂ちゃんに褒めてもらえるものを…。
認知症を患いあまり人前に出なくなったが、まだまだ早い別れだった。ちょうど1周り上の81歳。思い出は書ききれないほどあるが、素敵な人だった。「ふみふみー、元気ぃ?」ってまた電話がかかってきそうな気もする。
どうか桂ちゃん、安らかにお眠りください。きっとあの世でもたくさんの人達に囲まれいたずらしていることでしょう。たくさんの事を教えてもらいありがとうございました。素敵な先輩を失い、寂しいです。 合掌