吉田拓郎

たまたまツテで手配してもらった吉田拓郎のコンサートに大阪まで行ってきた。2009年の東京国際フォーラム以来15年ぶりだ。その間彼は肺がんの手術などをし、体調もすぐれないなどの話を聞いていたのでもう見ることもないのだろうかなどと思っていたのだが、急な開催に驚きと嬉しさで楽しみだった。
吉田拓郎は自分より10歳上だが自分が中学生あたりから強く影響を受けたフォークソングの第1人者(本人はそう言われるのが嫌だったらしいが)で、要は彼は社会に対し反体制でいることで自分の存在感を打ち立てたかった青臭い若者達の大スターであった。自分もギターを弾きながら遅くまで歌っていてよく親父に叱られたものだが、まるで師匠のように拓郎の歌に感化された影響は大学時代まで続いた。ちなみに2009年のコンサート時、拓郎はその時代の自分は青かったと言っていたし、何よりも反体制の側にいると思っていた自分が芸能界の真っ只中に漂う人間になってしまったと冗談のように過去を恥じていたが(KinKi Kidsの友人の拓郎ですと言っていた)、今回のMCではあの若い時代はあれはあれで良かったんだと言っていた。来場している人達も拓郎に影響を受けた人達が殆どなので後期高齢者も多かったように思う。しかし、拓郎の時代共感者としての世代はその後の拓郎を良しとしていない気持ちもあり、いまだに青い時代の曲でしか盛り上がれない残されたファンも大勢いるのも確かだ。拓郎はその後50年近く様々な音楽活動をし、自分だけではなく音楽プロデューサーとして多くの歌手に音楽を提供したり、CM曲などを世に送り出している。かくいう自分もそういう要素もあり、あの時代の曲が流れるとつい鼻がツンとするような郷愁を感じてしまう。
定時についに始まった。登場した吉田拓郎は若干痩せている感じはすれど足取りはしっかりし、1曲目「春だったね」でいきなり盛り上げてくれた。驚くほど声も出ているし、往年のエネルギーを感じさせてくれた。そして2曲目は「ペニーレインでバーボン」だ。1974年、自分が18歳の時の歌だ。何を隠そう、俺は19歳の大学1年の秋に無けなしの大学奨学金15万円を持ち東京に遊びに来て、ペニーレインまでバーボンを飲みに行ったものだ。つかみの2曲で後期高齢者達は総立ちで盛り上がり、何曲目かに「洛陽」を歌った時はエクスタシー状態だった。しかし、拓郎は観客の意に反して(拓郎から見れば当たり前なのだが)音楽活動の全てを凝縮して歌ってゆく。途中にはキャンディーズに提供した「やさしい悪魔」も歌い、別な意味で盛り上がった。晩年のバラード調の曲などを歌うと立っていた人もパラパラと座り出し「人生を語らず」とかを歌うとウォーと立つと言う感じだ(長く立っているには観客も苦しいのだろう)。途中、少し大丈夫かな?と思う時もあったが、アンコールまで含め2時間半、拓郎は毎曲ギターを変え歌い続けた。おそらく奥さんの森下愛子さんの介抱もあり随分健康を取り戻したのだろう。とはいえ80歳だ。80歳でのこのステージは凄いものだった。かつて体調が急変し大阪のコンサートを急遽中止した悔しさを晴らせたと彼の涙が出た場面もあったが、完遂した安堵感はこちらにも伝わってきたし、観客側もホッとした気持ちだった。もうコンサートは行われないかもしれない、しかし自分の人生に少なからず影響を与えてくれた吉田拓郎だ。自分の中でも何かフッと剥がれ落ちたものがあったように思えた。いい夜だった。